赤沢経済再生担当大臣を表敬訪問。30年前に武蔵野市が全国初のコミュニティバスの運行を始めた。その時、若い運輸官僚として実現に力を貸してくれました

赤沢経済再生担当大臣を表敬訪問。30年前に武蔵野市が全国初のコミュニティバスの運行を始めた。その時、若い運輸官僚として実現に力を貸してくれました

平成7(1995)年11月26日に武蔵野市は全国初のコミュニティバス「ムーバス」の営業運転を開始しました。ムーバスは2m×7mのミニバスで定員25名。吉祥寺の街路を走る路線バスです。1回100円で200m間隔のバス停。15分に1本の運転間隔で市民生活を支えています。今や無くてはならない存在です。しかし、30年前当時のバスは2.5m×11mで大通りを走る50人乗りというイメージで、4~6mの細い街路を走る乗合バスは想定出来ませんでした。

武蔵野市がコミュニティバスの構想を発表してプロジェクトチームを発足させたのが平成3(1991)年でした。その時、運輸省からPTに派遣されて来たのが、若き日の赤沢亮正さんで、研究の結果を本省にしっかりつないでくれました。実現したのは4年後の平成7年でした。4年の間、警察・東京都・JR・バス会社・メーカー等さまざまな分野の方々にお世話になりましたが、赤沢さんは生みの親の一人です。30有余年経って、石破内閣を支える閣僚として活躍されています。

昨日1/15に表敬訪問すると、大変喜んでいただいて旧交を温めました。ムーバスのパンフレットを渡し「今年で30年を迎えます」と申し上げると、「懐かしいなあ」と目を細めておられました。公務精励をお祈りします。

なお、赤沢大臣と私は20年前の小泉内閣で同期当選し、通算34年の公私のおつき合いになりました。