500年前の縄文時代の三内丸山の人口は?―50人~300人が自然と共生した持続可能な生活だった。

500年前の縄文時代の三内丸山の人口は?―50人~300人が自然と共生した持続可能な生活だった。

9月5日、青森県三内丸山遺跡を視察。岡田館長からお話しを聞く。遺跡は、20数年前に野球場を造るため、土地を造成していて偶然発見したという。

8畳ほどの広さの竪穴式住居が点在し、一角に長方形の大屋根の茅葺200平方メートルほどの建物―集会や祈りの場だったのか?

さらに周囲1m20cmの太い栗の柱6本を繋ぐ櫓のようなものがある。用途は判明していないが宗教的儀式に使ったのか、海を見るための見晴らし台だったのか?更に、海に向かって幅14m~15mの道路もあったという。

食物は栗が主食。海の魚や貝類も。土器をつかい煮炊きしていた。衣服も草木を利用して作り、着用していたようだ。

栗の木で家屋をつくり、栗の木を燃料に栗の実を食べる、栗文化だ。

自然の恵みと共に生きた縄文人。まさに自然との共生、地球に優しい生き方の実践だ。持続可能な文明といえる。

先日、米国と中国がパリ協定の批准に合意し、発効の見通しが立ったとの報道を思い出した。CO2二酸化炭素排出を抑制し、今世紀末までに産業革命以前と比較して気温上昇を2℃以下に収めるという内容だ。 

現代の豊かな文明は未来にわたっても持続可能か、三内丸山遺跡を見て改めて考えた。

 

<三内丸山遺跡の大屋敷にて>

三内丸山遺跡①