憲法記念日にあたり、原点に立ち戻って、日本の存立と安全について考えます。
第一の論点
昭和26(1951)年9月8日、米・英・仏・中(蒋介石政権)等の連合国との間でサンフランシスコにおいて署名されたのが「日本国との平和条約」通称サンフランシスコ平和条約です。翌年の昭和27(1952)年4月28日にこの条約が発効し、戦勝国の占領は終了し、日本は再び独立することになりました。
このサンフランシスコ平和条約の第五条(C)項には、下記のように記されています。
「(C) 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。」
戦勝国である連合国と日本は、我が国が独立国として個別的自衛権と集団的自衛権を有することを確認したのです。
第二の論点
昭和34(1959)年12月16日の最高裁判決です。この事件の原審は、立川市砂川町にある米軍基地の拡張に反対したグループが実力行使をして、米軍基地内に乱入した事件(砂川事件)について争われました。争点は、日米安全保障条約第三条に基づく行政協定による米軍基地は、憲法違反か否かという点です。
最高裁大法廷は「憲法九条は、我が国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定していない」「憲法は(中略)我が国の平和と安全を維持するために相応しい方式または手段である限り、国際情勢の実情に則し、適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない」と判示しました。
さらに、原告(基地拡張に反対したグループ)が日米安全保障条約は国会で可決されたが、条約に基づく日米行政協定は行政協定なので可決されておらず違法と主張したことについて、「日米安全保障条約第三条に基づく委任の範囲内のものである」と判示しました。
サンフランシスコ平和条約と最高裁大法廷判決により、日本の自衛権は個別的及び集団的の何れも現憲法下で認められていると、国際的・国内的に確定しています。
これら歴史的事実を正しく認識した上で我が国の安全保障政策を、より明確に異論のない形が必要だということになれば、憲法九条を改正すべきであります。
私は現憲法が日本の主権を制限された連合国の占領下に成立したことを考えて、憲法九条は改正すべきだと考えます。令和5年5月3日の憲法記念日にあたり、政治に携わって来た者として、改めて所感を申し上げました。