元内閣官房副長官 石原信雄さんのお別れ会(4/19)に参列し献花を捧げ、謹んで哀悼の意を表しました
石原信雄さんは、去る1月29日にご逝去されました。享年96歳でした。私が武蔵野市長に就任した昭和58(1983)年、石原信雄さんは自治省(当時)財務局長として全国の都道府県、市町村の地方財政に責任を持つ立場にありました。全国の地方自治体の行政改革や財政再建に腕を振るわれていました。
当時、武蔵野市は職員の退職金が4000万円(今の価値に置き換えると6000万円)でした。このことが報道されると、全国から批判が沸き起こりました。市長に就任したばかりの私は市職員の高額退職金是正のために連日、職員組合と交渉し、一カ月で1000万円の引き下げを実現しました。最後の一週間は組合がストを打ち、全国から左翼・右翼・国民の抗議と激励が殺到し、騒然たる雰囲気でした。その時、事務方を通じて様々なご支援をいただいたのが、自治省財政局長の石原信雄さんでした。以来、折にふれてご指導いただきました。
石原信雄さんは、その後、事務次官を経て内閣官房副長官に就任して、各省の事務次官を束ねて大活躍されました。竹下登総理に任命されたのですが、その後、宇野宗祐・海部俊樹・宮澤喜一・細川護熙・羽田孜・村山富市各総理の下、内閣の事務の要として国政の中枢で活躍されました。
温厚なお人柄で、昭和天皇の御崩御・大喪の礼、消費税3%導入、湾岸戦争、連立政権、小選挙区・比例代表制度成立そして阪神淡路大震災等の国難に立ち向かわれました。まことにご苦労の日々であったと拝察いたします。
当時を振り返り、感謝の誠をこめて献花を捧げました。