明治の骨太の日本人、インド独立の志士ラス、ビバリー、ボースを支援した中村屋、近代中国の国父孫文を支援した松本楼
五・一五事件で成年将校の襲撃で倒れた犬養毅総理の偉大なる業績を偲んで、ゆかりの人達が集まり犬養木堂会を結成、毎年5月15日に追悼会をもっていらっしゃいます。既に88年続いています。世話人代表が私の友人であり、木堂会々報に400~500字の小文を書くよう依頼されました。犬養木堂翁の業績は広く知られているので、同時代に生きた市井の方二人のことを書くことにいたしました。
以下拙文です。
【明治の骨太の日本人。ボースを支援した相馬愛蔵、黒光。孫文を支援した梅屋庄吉】
木堂犬養毅先生は安政2年1855年に生をうけ明治・大正・昭和の大動乱期に言論人、議会人、内閣総理大臣として国家の柱石をなした英傑です。同時に犬養先生のような骨太の方々が社会の要所要所に日本の近代化を推し進めていたのです。改めて振り返りたいと思います。
明治という時代は、270年続いた江戸幕藩体制を根底から改革し、日本が近代国家として世界史の中にデビューした超ダイナミックな時代です。王政復古、大政奉還、版籍奉還、廃藩置県、秩禄処分、四民平等、戸籍制度、地租改正、貨幣制度と国立銀行、警察と軍隊の整備、通信、郵便、電信、鉄道、国民皆教育制度、殖産興業、大日本帝国憲法発布、国会開設。幕末から維新へ、明治政府の発足後の諸制度の整備までわずか30~40年の間に次々と近代国家の骨組みをつくりあげました。
更にアジアに目を向け明治のダイナミズムを象徴する日本人がいました。インド独立運動志士のひとりラス・ビハリー・ボースを英国の追求から守った相馬愛蔵、黒光夫妻と愛娘俊子さんの活躍です。新宿中村屋の創始者として活躍した相馬夫妻はビハリーボースさんを匿い、愛娘俊子さんはビハリーボースさんと結婚しています。また同時代の実業家梅屋庄吉さんは、近代中国建国の父、孫文を支え、実業で得た資金を惜しみなく孫文の革命資金として提供したと言われています。日比谷の松本楼に梅屋さんの活躍の一端が紹介されています。二人は明治政府の高官でもなく官営製鉄所や銀行など重要な産業を興した立役者でもありません。どちらかというと市井の実業家ですがアジア各国の独立に目を向けて、革命家たちに具体的支援を続けたことが、明治の持つダイナミズムの象徴ではないかと思います。
中国とインドが現世界を動かすメインプレイヤーに成長した現在、100年近く前に力を尽くした骨太の日本人の存在を誇りに思います。