武蔵野市は今年誕生130年を迎える、同時に中央線も敷設開業130年だ。記念すべき年に武蔵野市も歴史をPRしたらどうか
明治22年西暦1889年、旧・吉祥寺村、西窪村、関前村、境村の四村が合併して神奈川県北多摩郡武蔵野村が誕生した。当時人口3000人と記録されている。以来、どことも合併せず昭和3年武蔵野町、昭和22年武蔵野市となり、今日を迎えている。今年四月一日は武蔵野村以来、130年の記念すべき年を迎える。
中央線の前身の甲武鉄道が敷設開業したのも、同じ明治22年1989年4月11日だ。新宿停車場、中野停車場、境停車場、国分寺停車場、立川停車場の五駅だったと記録にある。当時は東京駅も出来てなく、山手線も円を描いていない時代だから、甲武鉄道の各駅は鉄道先進地域だったことになる。現中央線は新宿以西立川三多摩の丘陵地帯の馬の背のような高い位置を貫いている。中央線の南側が多摩川水系、北側が荒川水系と分かれている所も多い。水のない武蔵野原だったので、鉄道も敷設しやすかったのだろう。水がなく稲作が出来ない“原野”だったこの地域が今日の隆盛を見たのも甲武鉄道のおかげだ。
鉄道誘致と境停車場の存置に奔走したのが、境村の20代の青年、秋本喜七氏と初代村長三井謙太郎だという。今日、武蔵野市は財政力日本一を誇るが、この源をつくった先人達の努力に改めて感謝申し上げたい。