自衛隊イラクPKO派遣隊の日報が、長く未発表になっていた背景は、制服組と背広組の不信感が原因ではないか
陸上自衛隊イラクPKO派遣の日報が発見されたのが、昨年の3月だとすれば、それ以降は政治責任だ。
しかしそれ以前、民主党政権を含めて十数年にわたって日報が確認されなかったことの責任はもっと大きい。制服組と背広組との間の不信感があるように思える。
制服組はPKOで劣悪な条件の下派遣されて、「汗を流しているのは俺達なんだ」という気持ちがある。「それに比べて背広組は東京にあって、国会対策とはいえ政治に左右されて、我々現場の苦労を知らないのではないか?」という思いが強いのではなかろうかと推察する。
自衛隊は軍隊とは呼ばないが、生死をかける堂々たる実力部隊だ。そしてPKO等、現実の危険と隣り合わせの状況に置かれるのは現場だ。現場の苦労が逐一報告されるのが日報だから、日報が無いはずがない。また、ある程度の期間保有しなければ、具体の活動分析に役立たない。昨年、岡部陸上幕僚長が突然辞任したのも、生命の危機にさらされる現場の報告が「ない」とされた事に対する抗議ではないか。「日報はあるが公開できない」とすればよいのだ。そして作戦に影響を与えなくなったら公開する。
又、自衛隊は先進諸国の軍隊・実力部隊と比較して、十分な名誉ある地位を与えられていないように思う。30~40年前は自衛隊員の子供というだけで、学校で虐められたりしたのが、日本の残念な歴史だ。いざとなれば最前線で防衛任務にあたる制服組と、それを支える背広組、そして政治任用された大臣他、幹部と国会が各々の立場を尊重すると共に、時に厳しく牽制し、時には敬意を捧げる正常な信頼関係を作っていくことが大切だ。それが真のシビリアンコントロールに繋がるのだ。