昨日、朝7時36分東京発の東北新幹線で、盛岡に向かった。
岩手県庁では、千葉副知事、風早総務部長など幹部と意見交換。
宮古市では、山本市長以下、幹部の方々と意見交換し、それから三陸鉄道北リアス線に乗った。
今回の視察の目的は、5年前の3.11東日本大震災で被災した沿岸各市町村の復興を、南北150kmに縦断している三陸鉄道を軸にして出来ないかという問題意識を持って現地を見ることが目的だった。
三陸鉄道は、久慈~宮古間の北リアス線71km、釜石~盛岡間の南リアス線36km。その中間にJR東日本の山田線55kmがある。
山田線は、平成30年秋には、JR東日本が全線復旧し、三陸鉄道に移管され、青森の県境の久慈から宮城の県境の盛岡まで、150kmの大三陸鉄道が誕生することになる。
岩手県の3.11被災市町村は、すべて三陸鉄道で結ばれることになる。
これをバネにして復興計画を加速すべきと考え、いくつかの提案を行った。
宮古市から久慈市まで、71km、1時間半、三陸鉄道の中村社長と同乗し意見交換した。
途中、岩泉小本(いわいずみおもと)から島越(しまのつこし)の一駅、伊達岩泉町長も同乗し、19人の犠牲者が出た台風10号の被災状況の報告と国の復興協力依頼を受けた。
私からはお見舞いとともに総務省自治財政局参事官を来週早々に岩泉町に派遣する旨をお伝えし、激励した。
終点久慈で中村社長と再会を期し別れた。
その後、東北新幹線二戸駅から、はやぶさで帰京した。
岩手県をぐるりとひと廻りして、往復1400km。あわただしい視察だったが、現地に行ってわかることも多い。
安倍内閣の1丁目1番地は、東日本大震災の復興と地方創生だ。
総務副大臣の任期は8月で終了したが、引き続き被災地の復興のために全力を尽くしたい。
「宮古駅で三陸鉄道の社員全員が列車の見送り~左は中村社長」
「伊達岩泉町長から、台風10号の被害状況報告を聞く」
「3.11東日本大震災の被災地で唯一犠牲者ゼロだった普代村~20年前の村長が高さ15mの水門をつくった」