1泊2日で青森県を視察。津軽地方には元気な市町村が多くある。
五所川原市の立佞武多(たちねぷた)は23mの巨大なねぷたで、毎年8月4日~8日までの5日間、市内1.2kmを練り歩く。総重量19トン、60人の引手が曳く。
立佞武多は明治の頃から続く五所川原の伝統だが、市街地化がすすみ電線が張られるようになるとねぷたの通行が不可能になり、いつしか途絶えてしまったという。
立佞武多が復活したきっかけは、大工の棟梁の家の遺品から、明治時代の墨で書いた設計図が見つかったことだという。ちょうどその頃、五所川原市が人口減少を迎え地域が元気を失っていた時だったという。
「地域おこしは、これしかない」と直感した有志が立ち上がって、数か月掛けて河原で作り上げたという。当時200万円を目標に市民に募金を呼び掛けたら500万円集まった。
数か月掛かり、巨大ねぷたが80年ぶりに完成した時は有志の思いが通じたと手を取って泣き崩れたとのこと。完成したねぷたは、季節が終わったら伝統に則って火が放たれた。
これ一回きりだと思っていた有志に「もう一回やってくれ」と言ったのが当時の市長だった。「電線が邪魔して街中には繰り出せないのだから・・・」と断ったら、市長が「そんな電線ヤッテマレ」と言ったという。
「ヤッテマレ」は津軽地方の方言で「やっつけてしまえ」という意味で、戦いねぷたの掛け声そのものだった。それを聞いた有志達は奮い立って再び挑戦したという。平成10年のことだ。
立佞武多館の菊池館長はその場に居合わせた中心人物だ。市長の「ヤッテマレ」の一言に身震いしたという。そして邪魔な電柱を移設、地下埋設してついに1.2kmの巡行コースをつくったという。
立佞武多館には8階建てのビルに相当する23mの立佞武多が3基勢揃いしている。8月の祭りの時は巨大な建物の壁面が開き、街中に威容が現れるという。今日では5日間で100万人集める大祭になっている。
鶴田町の鶴の舞橋は岩木山の裾野に広がる灌漑用ため池280haにかかる木造の橋で、鶴が翼を拡げて舞うように見える。
江戸時代に当時の津軽藩主が作ったため池を活用し、20年前に作ったという。吉永小百合さんのディスカバリージャパンで有名になり、毎年数10万人が訪れるという。
田舎館村の田んぼアートもユニークだ。色とりどりの稲を植えて人物や風景がをつくり、田んぼの傍から見るとなんとも無いが、10mの展望台から見下ろすと遠近法を使った絵柄がくっきりと見える。
今年のテーマはNHK大河ドラマの真田丸だ。
田んぼアートは20年前より考案して、少しずつ工夫しながら充実してきた。最初は1~2色だったが様々な色の稲を全世界から取り寄せ、現在は黒米を始め、4~5種類の色を作り出す。田植えをする時はすべて青い稲だというのだから驚きだ。7月が見頃とのことだが、9月に刈り入れ時を迎えても立派な姿だ。天皇陛下もご覧になったとのこと。
三つの市町村に共通していることは、地域の伝統や風土を生かして、新しく創出したことだ。これこそ地方創生の手本ではないだろうか。
<五所川原市の立佞武多館で>
<田舎館村の田んぼアート 鈴木村長と>
<鶴田町の鶴の舞橋 相川町長と>