12月17・18日の両日で、岩手県と宮城県の3.11被災市を訪問し、各地で市長さん他の幹部職員や市議会から現場の意見を伺った。又、各地から派遣された応援職員や、復興支援員を激励し意見交換をした。
●陸前高田市 [17日 13:00~15:30]
奇跡の一本松で名高い陸前高田市を訪問。戸羽市長以下幹部の皆様と意見交換し、高台から市街地造設の全景を鳥瞰し説明を受けた。土地の嵩上げ造成、区画整理、堤防建設など総計100ha以上にわたった一大市街地建設事業で壮観だ。戸羽市長に二年前にお目にかかったが、その時と比較して、事業が具体的に軌道に乗っているせいか、安堵感があふれ顔色が明るい。
(戸羽市長より)
・集中復興期間の5年ではとうてい終わりません。方針を決めるまで、住民同意を取るまでに時間がかかり、方針が決まった後も相続などで土地所有者が全国に散らばり、土地の所有者の合意を取るのに時間がかかりました。理解をしてほしい。
・市役所の位置は決まっていません。震災直後は安全高台にが有力でしたが、住民の気持も乗ってきました。
【17日 戸羽市長と陸前高田の復興を鳥瞰】
●遠野市 [17日 17:00~19:15 18日 8:30~9:10]
遠野市は、3.11の東日本大震災で本庁舎が座屈して、現在はJR遠野駅前のスーパー「とぴあ」の二階半分3000㎡をメイン庁舎にし、他は数カ所に分散している。市議会は30分離れた旧宮守村役場の大会議室で開催している。旧知の本田市長に出迎えを受け、幹部と意見交換をした。(本庁舎建設へ)現とぴあ庁舎の横に5000㎡の新庁舎を復興事業債を活用し建設するという。新設の本庁舎は、最小の5000㎡として、ここのとぴあ庁舎は残し廊下でつなぎますし、市長室もこのままです、と本田市長。
「復興支援に来て遠野が好きになり、地元女性と結婚し、女性の姓にいたしました」
復興支援員として県外から来た男性のOさん、遠野が好きになり地元の女性と結婚して、女性の姓に改正したという。旧姓Sと言います、と。
私は、前日の最高裁判決「夫婦同姓は合憲」との判決を引用して、貴方はどう思うかと聞く。Oさんは、「夫婦どちらの姓も自由に選択できるのですから」と、まったく屈託がない。若い世代の素直な感覚だ。
「遠野は日本一の自立都市と200人を前に講演」
講演を依頼されて、ホテルの会場で18:20~19:10まで遠野の未来を語った。200人を遥かに超える聴衆で一杯だ。
・遠野は生活に必要な、水・食糧・エネルギーが三つとも自給できる日本一の自立都市です。
・東京は、水は多摩川で30%、他は利根川、荒川に頼っている。電気は、東電大井火力発電で必要量の7%、ガスはゼロ。食糧は、オリジナルカロリーで1%以下。実は東京は日本一の脆弱な都市なのです。
・遠野はエネルギーも、電気、ガスが無くても森林エネルギーがあります。エネルギーは薪というと昔に戻ったような気がしますが、実は最先端です。
・11月30日~12月12日まで、パリで開催されたCOP21では、今世紀末にはCO2排出ゼロにするという目標です。森林は、成長過程でCO2を吸収するので、プラスマイナスゼロです。
・木質エネルギーの利活用は世界の最先端なのです。遠野の良さを生かしながら、東京圏一都三県のエネルギーとどう連携するか、そういう視野で頑張って下さい。
と語った。
【17日夜 遠野市で講演】
「遠野市の消防本部職員51名、消防団900名」
翌日、東日本大震災で後方支援基地となった遠野市消防本部を訪問。市長、消防長以下に、3.11の後方支援の説明を受ける。当時の記録が生々しい。
本田市長は、大震災が起これば内陸の遠野は後方支援基地になるという想定で、2008年に自衛隊、消防、警察などと大演習を行った。3年後その通り、3.11東日本大震災が発生し、その訓練がなければ大混乱しただろう。本田市長の先見性と職員、市民の力が光る。
遠野市は3万人の人口なので、プロの消防職員がわずか51名だ。一方、消防団員は900名の団員で組織されている。
【18日朝 後方支援記念館で、本田市長から説明を聞く】
『2019年ラグビーワールドカップを釜石再生のスタートとしたい。』
●釜石市 [18日 10:30~12:40]
野田市長に迎えられて、さっそく復興現場を視察。山を崩し、低地を埋め立てて土地を嵩上げし、復興住宅を作る。総計100ha以上の大事業だ。
俯瞰すると、市長が指をさして小学生が全員助かった「奇跡の学校」の跡地と、山沿いに逃げた道筋が見える。いったん避難場所に逃げたが、先生と児童が協議してさらに高台に逃げたという。
その学校跡地が、2019年ラグビーワールドカップの競技場になる。復興の象徴にしたいと野田市長。スローガンは「鉄と魚とラグビーの街 釜石」である。
【釜石市の高台から、ラグビーワールドカップ会場を見る】
【釜石市で、復興支援員と意見交換。中央が野田市長】
『3.11を見て、「なあなあ」の自分の人生に区切りをつけるために、復興支援員になりましたと女性』
●気仙沼市 [18日 14:20~16:10]
気仙沼市に到着後、直ちに復興支援員との意見交換。他県から来ている若い女性の復興支援員が語る。
「大学を卒業後、すぐに支援員を希望して来ました。3.11の大震災にボランティアで来て、人々が頑張っているのを見て「なあなあ」の自分の人生に区切りをつけようと思いました。」
若者は凄いと実感する。
「気仙沼市の、標準の一般会計規模は210億円ですが、今は2000億円超。他県市からの応援派遣がなければ、とうてい復興も進みません」
15:00、菅原市長をはじめ、幹部職員、正副市議会議長と懇談。要望を伺う。
(菅原市長より)
・決定的に不足しているのは、復興事業をこなす職員が不足していることです。県や他市からの派遣職員が約 100名、まだ不足しています。是非、引き続きご支援を。
・平成27年度の国勢調査では、5年前の平成22年と比較して、避難している市民の分だけ少なくなる。これをもとに地方交付税を算定されると、9億円以上減額される。被災地には是非、平成22年国勢調査で算定を。
【気仙沼市 菅原市長から要望書】
その後、中央公民館の屋上から被災地を俯瞰する。
湾の前に大島があって津波を遮ったが、津波はその大島の低地を乗り越えてきたという。屋上から見ると、来年3月完成の8階建て復興住宅遠望できた。気仙沼で初めての8階建てだという。
着実に前進しているのがわかる。
【夕暮れの気仙沼市街地、8階建ての復興住宅が来春オープン】
16時10分に現地を辞し、一関17:47の新幹線で帰京した。